「ステさん道中記」
ツーリングレポートや日常の出来事などを、 徒然なるままに記した日記です
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Author:ステ三郎
バイクツーリングやその他諸々日々の出来事を、徒然なるままに書き続けて行けたらいいなと思っています。



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久々のツーリング

先日、久しぶりのツーリングに行って来た。

朝、目が覚めると、窓から差し込むオレンジ色の日差しが部屋いっぱいに溢れている。
カーテンをめくると、見事な秋晴れに外の景色が輝いている。
昨夜意識して酒を控えめにしたおかげで、体調は万全、いやがうえにも志気は高まり、すぐにライディングウエアに着替えて外へ出た。

エンジンをかけ、バイクを走らせ、関越に向かう。
なぜか私は、関越に乗ると妙に落ち着くのだ。
中央でも東名でも東北道でもない、「関越」がなぜか好きなのである。
これといって意識している理由はないのだが、バイクに乗り始めた頃からよく通っている奥武蔵,秩父方面へ繋がる道であるからかも知れない。
言ってみれば、大好きな場所にワープ出来る魔法の道とでも言うべき存在といったところだろうか。

そういうわけで、本日の行き先も例に違わず秩父である。
いつもだと、川越で関越を降りてR254をのんびりと走るのだが、今日は見事な秋晴れなので、高速から見る景色がまた一段と素晴らしい。
で、もう少しこの景色を堪能しようというわけで、川越の出口をやり過ごした。

私の場合、毎回のツーリングに於いて、欠いてはならない一種の儀式みたいなものがある。
それは必ず「高速のパーキングに立ち寄る」ということである。
パーキングに入り、バイクを停め、駐車場にごった返している車やバイクを眺めることで、休日の雰囲気を肌で感じ、自分もその中に身を投じることによって、至福の一日をこれから過ごすことを実感し、悦に入るのである。

高坂PAで休憩した後、東松山で高速を降りた。
R254をしばらく走り、R140に入り、秩父方面へ向かう。
ただしそのまま秩父に行くわけではない。
途中で右折し、鬼石へ出た。
ここは、昔オフロード車に乗っていた頃に、よく通ったところである。
群馬県と埼玉県の県境に神流川(かんながわ)という川が流れていて、その北側に、御荷鉾山(みかぼさん)という標高1300mほどの山がそびえ立っている。
その山の尾根を40㎞以上にもわたって未舗装の林道が続いていて、そこに毎週のように通った。
「林道命」と心底思っていた、今からおよそ20年ほども前のことである。
現在では既にその林道は全面舗装になったようだ。

その神流川の北側に沿ったR462を走るのが、最近では結構お気に入りのルートなのだ。
鬼石に入ったところでバイクを降り、神流川が流れ込む神流湖の景色をしばし堪能する。

IMG_5083.jpg

15分ほど休憩し、再びバイクを走らせる。
神流川の景色を眺めながら、適度なワインディングが続く道を楽しむ。
制限速度を10㎞ほどオーバーしたスピードで巡航する。
つまり、かなりゆっくり、ということだ。
この位のスピードで走ると、普段走っている時には見ることの出来ない別の景色が見えてくるのがいい。

後ろから迫って来るバイクに道を譲りながら、やがて「万葉の里」という道の駅に着いた。
建物の中に入ると、この土地で取れた農作物を始め、漬け物,佃煮,工芸品といったようなものが数多く陳列されている。
こういう雰囲気が実にいいのだ。
時間を気にせず、ゆっくりとひとつひとつ見て回る。

IMG_5086.jpg

私のツーリングは元来、「走る」と「見る」の両方を味わうことを目的としている。
その両方共を味わえた時に、至福を感じる。
だからガンガン走る、というのはあまり好きではない。
時間に追われるツーリングも好きではない。
気に入った場所があれば、好きなだけそこに居る。
好きなだけ心地よい場所に身を投じる。
そんなツーリングが好きだ。

そこからはいつものコース、R299を通って秩父へ向かう。
途中、志賀坂峠から中津川の方へ向かって中津川渓谷を抜けようかと思ったが、志賀坂林道の入口が通行止めになっていた。
やむなくそのまま通過し、秩父へ。

前にも書いたことがあるが、秩父へ来るともうひとつの儀式がある。
それは「珍達そば」である。
特に劇的に旨いというわけではない。
わざわざそれを目的に秩父へ行くというわけでもない。
でも、秩父に来ると、なぜか素通りは出来ないのである。

秩父市役所裏の、いつものその店の前にバイクを停める・・・・と。
なんと「臨時休業」の貼り紙が!!
むむむむむ・・・・・
しばし空白の時が過ぎる。
しばらくして浮かんだのが、横瀬にある姉妹店らしきもう一軒の店。
気を取り直し、その店に向かう。

店の前の駐車場には結構クルマが停まっている。
中に入ると、カウンター席が空いていたのでそこに座り、珍達そばを注文した。
この店に入るのは初めてだ。
やがて出て来たラーメンは・・・・・

IMG_5090.jpg

見た目はいつも食べる店と同じようだが、決定的に違っているところがある。
写真では分かりにくいが、どんぶりが浅いのである。
ラーメンどんぶりと言うより、中華丼のどんぶりみたいだ。
浅いということはそれだけスープが少ないということに他ならない。
何となくいや~な予感がした。
恐る恐るひとくちめを口にした。
そもそも珍達そばというのは、ごま油が利いていて、その効果もあってアツアツなのである。
下手をするとやけどしかねない。
ところが・・・・・

全然アツアツじゃない。 (ToT)
スープが少ないので、麺もなんだか半分固まってるようで、それをほぐしながら食べるものだから、なおさらアツアツじゃない。
これは珍達じゃない!!(ノ`´)ノ┫:・.
そういう結論に達し、やっつけ加減で食べ終わり、やや不機嫌気味にオアイソをして店を出る。
まぁ味は悪くはなかったので、許すことにしよう・・・・ね。

そこからはR299を走って川越に出て、R254から所沢に続く、お気に入りの景色抜群の裏道を通って、所沢から関越に乗った。
走行距離260㎞。
久しぶりのツーリングで肩やら背中やら腰やら、いろんなところが筋肉痛になったが、楽しい一日であった。
道の駅で買った、らっきょうの味噌漬けとふきのとうをツマミに、同じくそこで購入した梅干しを入れた焼酎のお湯割を飲みながら、至福の一日を反芻しているうちに、いつの間にか深い眠りについた・・・。


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謎のネーミング

IMG_50791.jpg


以前から前を通る度に気になっている。

外見は何の変哲もないフツウのラーメン屋さんだ。
問題は店の名前である。

これは何と読んだらいいのか。
私が今まで送って来た拙い人生の経験から、これをフツウに読めと言われたら、やはりあの読み方しかない。
しかし本当にあれでいいのか?
あれだとしたら、人前で口にするのはちょっとはばかられる。
ましてや日常の会話で頻繁に口にするのはもっとはばかられる。

例えば、だ。

会社員A「おい、昼飯なんにする?」
会社員B「そうだなぁ。萬興行くか。」
会社員A「萬興か。いいね、萬興!」
会社員B「よし、決まりだ!萬興行くぞ、萬興!」

う~ん・・・・・

こんな場合はどうだ。

父「母さん、今日の晩ご飯なんだい?」
母「そうねぇ。お母さんちょっと疲れちゃったから萬興でいいかしら?」
父「萬興か。久しぶりだな。よし、今日は萬興にするか!」
娘「やったぁ!私、萬興のわかめスープ好きなんだ!」
父「萬興のスープはダシが効いてるからなぁ。ハハハハ」

う~ん・・・・・

これはやはり真相を探るしかないようだ。
店の入口に並んでいるメニューの写真は、どれも美味しそうで食欲をそそられる。
今度突撃部隊を編成して、実情を探ることにしよう。

萬興万歳!!


不吉な前兆?

先日、会社の休み時間に、ふつうに椅子に座ってふつうの姿勢で本を読んでいたところ、突然腰に電気が走った。
ほんの1~2秒のことだったが、かなりの激痛だった。
あの状態が数秒続いたら、悶絶すること請け合いである。

数年前に、首の筋が同じような状態になって、その時は本当に悶絶した。
筋を違えるのではなくて、筋が吊るのである。
最近、歳のせいか、蒲団の中で不用意に伸びなどすると、ふくらはぎの筋が吊って悶絶することがあるが、あの数倍の痛さである。
一回吊ると、間隔を開けて、何度も繰り返す。
吊った瞬間は頭の中が真っ白になり、世界が止まる。
そんなことが時期をおいて二度あったので、筋にはちょっと敏感になっていたりするのだ。
だから先日の一件は、ギックリ腰の前兆のようなものではなかろうか?などとちょっとビビッているのである。

とりあえず今のところは無事である。
腰に負担をかけないよう、おっかなびっくりの日々を過ごす今日この頃である。
(でも、ふつうに椅子に座ってふつうの姿勢でいる時に痛みが走った事実を決して忘れてはいない・・・・・)
クワバラクワバラ


小説

最近、読書にはまっている。
はまっていると言うと大袈裟かも知れないが、実際休日などは、テレビを観るよりも小説を読んでいる時間の方が多いようだ。

私は読書好きというほどのものではないが、「太宰治」だけは大変好きで、太宰の本はひととおり読んだ。
昔、神田の古本屋街に出掛け、何軒か古本屋をはしごし、ある店で「太宰治全集」を見つけて買い求め、なんか自分がとっても文学青年になったような気がして、全集を片手に秘かにほくそ笑みながら家路を辿った覚えがある。

太宰の小説は「暗い」とか「女々しい」とかいう理由で、結構嫌うひとも居るようだが、私はそうは思わない。
太宰は、人々の社交辞令の仮面の下に隠された、赤裸々な人間の本性を暴くことにこの上もない生き甲斐(と言うより使命)を感じていたようで、そういった場面の描写の端々に、実に力強い太宰の声が聞こえてくるような気がする。
“人間は建前じゃないよ。本音で生きなければいけないよ。”
私はそういった痒いところに手が届くとでも言うような描写が妙に気に入り、「待ってました!」と声を掛けたくなるような思いに駆られながら夢中でむさぼり読んだものである。


先日、十年ほど前に一度読んだことのある小説を、もう一回読んでみた。
と言っても、太宰の作品ではない。
その本は500ページほどの作品で、自らを「純文学と大衆文学の両刀使い」と称し、過去に直木賞を受賞したこともある作家によって書かれたものである。
WIKIPEDIAによれば、この作家は「大人の愛を描いた小説に人気がある」とのこと。
ただし今回読んだ小説は恋愛小説ではない。

父・・・・・前妻と死別し、ひとり息子がいる。中小企業の社長。
母・・・・・前夫と死別し、ひとり息子がいる。前夫の死後、今の夫と結婚した。
兄・・・・・父のひとり息子。ぐーたらで、一切の苦労を知らずに育った救いようのないダメダメなお坊ちゃん。
弟・・・・・母の連れ子。知能指数150、頭脳明晰にして決して奢らず誠実な人柄を有する。

とまぁ、この登場人物像を見ただけで、おおよそのストーリーは察しのつくところであるが、ざっとあらすじなど。

母が息子を連れて嫁入りして来て7~8年ほど経ったある日、弟が高校から帰って来ると、今年大学に入った兄がこともあろうか義理の母に乱暴を働こうとしていた。
現場を見られた兄が逆上し、台所から包丁を持ち出す。
弟がそれを取り上げようとしてもみ合いになり、はずみで兄の足を刺してしまう。
やがて警察が来て事情聴取になるが、母も弟も事実を隠し、弟は少年院に送られる。
兄は家に居づらくなり、祖父母の家に身を寄せる。
父は、以前から問題ばかり起こす実の息子に嫌気がさしてくる。
やがて刑期を終え、出所した弟が家にもどって来る。
そんな義理の息子に、父は以前にも増して愛情を持って接するようになる。
家族に疎んじられ、孤独を味わう兄は、父を逆恨みし、ある日の夜、自分の家に忍び込み、父を刺そうとし、駆けつけた弟が今度は自分の意志で兄を刺す。
裁判になり、兄は情状を酌量され執行猶予に。
弟は実刑となり、再び少年院に入る。
さすがのくされ兄貴も事ここに至り、おのれのバカさ加減にようやく気づいたようで、父の会社に入社し、少しはまともな人生を歩み始める。
絶対に息子を許すことはないと思っていた父も、少しずつ息子との和解を考えるようになった。
裁判の時に、義理の息子から「兄をあそこまで追いつめてしまったのはあなたです」と言われたことが、かなり応えていたのである。
二度目の出所を間近に控え、弟は自分ひとりで生きていく決心をする。
いよいよあと数日で出所というある日、農作業の時の怪我が原因で、弟は破傷風にかかり、はかない一生を終える。


私は読後、しばし呆然とし、何も考えることが出来なかった。
作者はこの小説を通していったい何を言いたかったのか。
義理の母を犯そうとし、実の父を殺そうとまでした男が、何ら罰を受けることなくつつがなく人生を歩んで行こうとしている。
片や自分の母を犯されそうになったり、義理の父の命を救った男が、二度までもクサイ飯を喰わされ、ひとりひっそりと生きて行こうと悲しい決心をした矢先に病死してしまう。
これではあまりにも救いようがないではないか。
踏んだり蹴ったりではないか。
人生、真面目にやるだけ損、要領よく世渡りをしていくのが得策さ、この作者はそう言いたかったのだろうか。

なんだかとてもやりきれない気分になり、その夜は酒をかっ喰らってさっさと寝てしまった。
因みに私が今読んでいる小説は、太宰治の「お伽草紙」である。
太宰治万歳!!


猫対策のその後

度重なる猫糞害に憤慨し、超音波による猫撃退グッズを購入し庭に設置したのであるが、その後の経過が予想もせぬ方向へ向かい出した。



そもそもこの機械は如何にして猫を撃退するのか?
そのしくみとは・・・・
以下にパンフレットに記載されているその能書きを示す。

“ 超音波とは「高い帯域の音」です。人には聴こえにくく、聴覚の優れた猫には車のクラクション並みの大音量で聴こえるため、超音波を聴いたネコはびっくりして逃げたり、しだいに避けるようになります。

設置してちょうど一週間が過ぎたが、おかげで設置後は猫の糞は見当たらない。
どうやら「猫の嫌がる超音波」が功を奏し、猫どもも、我が家の庭を避けて通るようになったようである。
これで頭痛の種だった猫糞の被害から開放されるかも知れない。
だとすれば、それはとてもめでたいことである。

・・・・しかし。
ここで新たなる問題が発生した。

問題とはその「人には聴こえにくい」超音波である。
・・・・なるほど。
確かにあくまで「聴こえにくい」のであって、決して「聴こえない」とは言っていない。

・・・・そう、つまりその猫の嫌がる超音波が、私の耳にもはっきりと聴こえてしまうのである。(T T)

家に帰って来て外から庭に入り、勝手口に向かうと、「パチッ」という不気味な音とともに機械から標的(この場合私)に向かって赤外線が発せられる。
つまり機械が標的(私)を感知し、私はそこでロックオンされたわけである。
そしてそれと同時に何とも言い難い、聴くに耐えぬ耳をつんざくような超音波が、私の鼓膜を抉るのである。

最初の頃はそれほどでも無かったのだが、通る度にはっきりと聞こえるようになってきた。
そのうちに勝手口に向かうのがだんだん億劫になってきた。
最近では、その音を恐れるようにまでなった。
そしてとうとう私はそこを避けるようになった。
勝手口からほんの4,5メートルのところにあるクルマまで行くのに、
わざわざ表門から外の道をグルリと大回りしなければならなくなった。

結局猫に仕掛けた罠に、自分もはまってしまったのである。
何とも笑い話のようで、笑い話では済まない話なのである。
この不便な状況がこれから一生続くのかと思うと、なんだかとてもブルーな気分になる今日この頃なのである。






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